第1回がまだの方は、こちらからご覧ください
ー留学されて現地での生活はどうでしたか?良い意味でも悪い意味でも、ギャップってありましたか?
生活してて思ったのは、スーパーが夕方くらいには閉まっちゃうんですよね。学校の授業が終わると行けなくて、複数の人と外で食事するっていう文化があるので、レストランに1人で入ると本当にジロジロ見られちゃって。向こうの人の感覚だと、外で食事するっていうのは人とおしゃべりしながら楽しい時間を過ごすっていうのがメインだと思うので、食事をするために1人でレストランに入るってまずないんですよね。そんな中、明らかにアジア人が1人で入っていくって相当珍しくて、1回入っちゃったんですけど、すごい見られて嫌な汗かいたんです。そこでおおよそ理解して「家で作るしかない」と思って、みんなどうやってるのかなと思ったら、学生も先生もパンパンになったスーパーの買い物袋を持って午後の授業に出ていて、「昼休みに買いに行っているんだ!」と気づいてからは自分も昼休みに買いに行きました。お肉とか腐らないかな、と心配しながら。
授業の形態も日本とは少し違くて、より先生と生徒の個人的な結びつきが強いなと感じました。やはりそこの信頼関係がないと良い授業が成り立たなず、単位ももらえないことが分かりました。授業料を払っているのだから、テストで点とればいいんでしょ?というような考えでは全くなかったです。それはカルチャーショックでした。
あと向こうで面白かったことがあって、アナリーゼの授業で「作曲出身だしアナリーゼは日本で全部勉強してきた」と思っていたんですが、アナリーゼのやり方も全然違ったんですね。試験は口頭の試験だったんですが、それが何回も落ちるんです。2回落ちて、3回目落ちたら単位を落とすという状況になってクラスメイトに相談したら、「何形式ですか?と聞かれても、とにかく受け答えは『分からない』と答えろ」と。驚いたんですが、実際3回目の試験は全て「分かりません。」って答えたら、試験官はとても満足してくれました。「分からないけれども、こういう可能性はあります。」という答えが正解だったんです。試験の回答として「分かりません」というのがあるんだ、と思って、すごく面白かったですね。神のみぞ知る、という感覚なんだと思います。
ー「日本からみた日本」「海外からみた日本」では音楽のスタイルや大事にしているものがだいぶ違うと思うのですが、伊藤さんはどう考えますか?
日本でお世話になった先生方には感謝しかありませんが、留学して一番最初に感じたのは、日本で良しとされてきたものは何一つ通用しない、と感じました。それはすごくショックでしたね。逆に向こうで大事にしているもの、スタイルの問題だったり、和声から来るアゴーギクやルバートだったり、を日本でやろうとした時に上手く伝わらなかったり、その狭間で揺れているんですよね。それをどういった形でどの程度貫くかは、その人の価値観だと思います。向こうの環境の中で、外国人として教わったことを日本に帰ってきて、自分の理解が足りなかったり、自分の表現が稚拙だったために上手く伝えることができなかった時期がありましたね。それはそれで日本に帰ってきた時にもう一度ショックがあって、より現場の中で経験していくことによって、どうやって伝えたら共感を持って一緒に音楽を作ってもらえるか、というのは今後も探りながらやっていきたいと思います。別に自分が向こうで学んできたことがすごい偉い、ということでは全くなくて、自分がやってみたい音楽が漠然とあるので、それが漠然としないように今後も勉強していきたいですし、与えられた環境の中で続けられたらいいなと思っています。
ーさまざまな方がいらっしゃると思うのですが、伊藤さんは留学生活を終えた後、そこに残って活動するか、日本に帰って活動するか悩まれましたか?
残れるなら残ろうかなと最初は思っていました。なんですが、日本のオーケストラでアシスタントのポスト(副指揮者)を募集していて、自分の(ウィーンの)先生から「2年まで休学できるから、学校を一回半年なり1年なり休学して、社会勉強のつもりでやってみたらどうか。オーケストラも振らせてもらえるし、良い経験になるのではないか。」と言ってもらえて、オーディションだけ受けてみたら、受かったんですね。それで学校を休学したんです。そして1年間東京のオーケストラのアシスタントをやりました。それが終わったところで、今度は別のオーケストラで「新しくアシスタントのポストを設けます」という話があって、それはより実際のオーケストラを指揮させてもらえる機会があるということだったので、もう1年日本で環境を変えてアシスタントをしようとオーディションを受けました。それもありがたいことに通していただいて、2年目はそこでやろうと始まったんですが、やっているうちに「オーケストラを振る経験がいかに大事か」ということがだんだん分かってきました。学校で受けれる授業というのは振る時間も含めて結構限られてるので、現場の経験というのは学生時代はなかなかできないんですね。それができるようになって「これはしばらく続けた方がいいかな」と思って、そこから日本にいます。そのアシスタントは1年ずつ契約の更新があり、3年間そこで振らせていただきました。
そうしているうちに日本の国内で仕事が色々広がってきたので、仕事を始めたんですね。その流れでウィーンの家も引き払って、完全に日本で活動するようになりました。そうなる前は向こう(ウィーン)に帰るつもりで一応休学していたので、一時的に日本に帰国しているという感覚でやってました。「日本に帰ることになったので」ということで退学手続きをしに大学の教務課に行ったら「退学手続きとかない!各ゼメスターごとに書き込み用紙がくるでしょ?払わなければ自動的にいいから。復学したかったら、実技担当教科の教授のサインが1つあればいつでもできるわよ」って言われて。「え、休学って2年間じゃなかったんですか?」って聞いたら「そんなもんない。」と。ウィーンって本当テキトーなんです。「10年後でも20年後でも?」と聞いたら「全く問題ない」って。だから僕まだ休学中なんです(笑)そんな感じで徐々に拠点が移っていきました。
指揮者のコンクールとは
ー伊藤さんの音楽プロフィールによると、さまざまなコンクールで1位や2位など優秀な成績を納めていらっしゃいますが、指揮者のコンクールというのはどんな準備や課題があるのですか?
基本的に指揮者のコンクールというのは、実際にオーケストラを振ってリハーサルをするんですね。そのリハーサルをどのようにするのかを審査されるのが普通ですね。なのでどのようにオーケストラとコミュニケーションを取るのか、どういうところにこだわって音作りをするのか、実際にどうやってその場に応じて指揮を通して表現するのか、というのが審査の対象になるんだと思います。審査する人によって基準が全然違うので、このコンクールではうまくいかなかったけどこのコンクールではうまくいった、ということが皆さんあるんじゃないかと。その時々の、その審査員の求めているものに、というのが難しいところですね。
コンクールは、授業もそうなんですがピアノを相手にまず準備をします。2台ピアノ交差するように用意して、各ピアノに2人ずつ連弾で、つまり合わせて4人で弾いていただきます。いわゆるスタンダード(ベートーヴェンやブラームス、古典派、ロマン派の交響曲、序曲も含め)と言われるようなレパートリーには、ほとんどの曲が連弾用に編曲されているんですね。それは昔、モーツァルトやベートーヴェンの時代にはレコードがなかったので、「新作の曲はどんな曲なのだろう」とピアノを持っている上流階級の人たちが連弾の楽譜を買って、家で弾きながら楽しんでいたという文化があって、曲が出版されたと同時に編曲版も合わせて出版されているんです。その楽譜を使って、ピアノ2台とも同じ内容のものを演奏していただく。そこでアンサンブルがうまくいかなかったり、こちらの意図が伝わらなかった時は、全て指揮者のせいだということにして、小さなオーケストラをそこで作るんですね。ただ、ピアノを弾く人の指揮伴(指揮者のための伴奏をすること)の技術はすごく特殊で専門性の高いもので、やはり指揮を見ながらピアノを演奏するのはなかなかないことなので、それに慣れてくださっている方、愛をもって指揮者の勉強のために指揮棒の情報の通りに辛抱強く音楽を作ってくださる方でないとできないことです。そういった人を集めることは結構大変です。
やっていると、いつも一緒に勉強してくれる仲間ができてくるので、そういう人にとにかく頼んで、「今のは分かりにくかった」「こうしたらもっと流れが良くなるんじゃない」とかアドバイスを直接もらって、第三者に聴いてもらったりレッスンを受けながら、課題曲を振らせてもらってコンクールの準備をしました。
ーすごいですね…。準備としてピアノを前に指揮を振ることと、実際のオーケストラを前にして振ることは、全く違うものですよね。人数や音色も。
おっしゃる通りですね。オーケストラの前に立った時の緊張感は全然違います。リハーサルをしなければいけないというのは大きな違いですね。ピアノでもリハーサルはできるんですが、限られた時間の中で1つの演奏会に向かって音楽を作っていくというのは、学校の中でやっていることとはまた別の作業が必要になってくる。そこの戸惑いはすごく大きかったです。指揮者の準備段階として、楽譜を読まなければならないというのは楽器の人と同じで、楽譜をピアノで弾いて音符を頭に入れていく作業なんですけど、そこで「オーケストラだったらこうなるかな」「この楽器はこうなるかな」というイメトレしながら準備をするのが大事になってくると思います。実際そのオーケストラを振る時は演奏会かリハーサルなので。イメトレの部分は、他の楽器と比べて比重が大きいと思います。
ーまず譜読みをしてとにかくピアノで弾き、イメージをするというのが指揮者の準備の流れなんですね。
楽譜から読み取る自分の音楽的なイメージを考えたり、和音のバランス、フレーズをどう作るかを何度も試しながら、ある程度音色を作ってピアノで弾けるように練習をするんですね。
ー無人の中で振る練習はされるんですか。
やる方とやらない方といらっしゃると思うんですが、自分はあまりやらないですね。難しい現代曲の変拍子みたいなものは手を動かしておこう、というのはあるんですが、それもあくまでイメトレであって、練習した通りのものをオーケストラの前でやろうとすると絶対失敗するのでそのための練習ではなく、筋肉を動かすといった感じですね。ただ、スコアを見ながら自然と手が動いてしまっている生理現象のようなものはあります。
ー最初に指揮を勉強された時は、ある程度「型」みたいなものを振る練習はされるのでしょうか?
それはします。手の動かし方の基本的なトレーニングがあって、それは曲を振るのとは別に、基礎練習はある時期はたくさんしますね。
ー指揮者の基礎練習はどんなものがあるんですか。
私は桐朋だったので、「斎藤指揮法」というものを基本の考え方として教えていただきました。例えば「指揮者の付随筋」といって指揮者しか使わない筋肉があって、付随筋なので普段の生活をしている限りは、あるんだけども使わないというものがあります。場所は、腕の肘から先の部分です。机の下とかに拳を当てて持ち上げるようにして鍛えます。今でも、腕の動きが鈍いなと感じた時は練習しています。
伊藤 翔 指揮者としてのあり方
ー指揮者がオーケストラに何かを伝える場面で、特に伊藤さんは「伝え方」に非常に気を遣われていると感じたのですが、伊藤さん自身で気をつけていることなどはありますか?
アシスタントをしていた時にたくさん指揮者の方を拝見して、本当に指揮者それぞれリハーサルのやり方があるなと感じたり、いろんな指揮者の影響を少しずつ受けたと思います。
オーケストラによって反応が違うんですね。例えで「雲の上をフワフワ歩いている感じでやってみましょう。」と言ったとして、納得されないこともあれば良い音色につながることもあって、どの方向から入ってそれがどういう形でオーケストラに感じ取ってもらえるかはその時々で変わってきます。なので状況を見ながら、一つのことを伝えるために様々なボキャブラリーを持つようにしています。例えたりせず「クレッシェンドしてください」というように、具体的に端的に伝えた方がうまくいく時もあります。目指すのは一つの表現かもしれませんが、そこに至るアプローチは色々あると思うので、それは自分の一方的な考えにこだわりすぎずに、なるべく柔軟であれたらいいなと考えています。
ー今まで指揮者として活動していく中で「指揮者をやっていて良かった!」という体験と、思いがけないハプニングエピソードがあれば1つずつ教えてください。
思いがけないエピソードは、リハーサルでものすごく静かな曲なのに振りかぶってしまったことがありますね…..笑いで済んだんですが、その失敗があってからプログラムを間違えないように、舞台袖で1回確認するようにしています。特に名曲コンサートのように短い曲がたくさんある演奏会では、間違えてはいけないので譜面台にプログラムを置いたりしています。
指揮棒が折れてしまうこともあるので、スペアの指揮棒を持つようにしていますね。あと指揮棒は空港の荷物検査で引っかかるので….
「これはなんだ?」って言われますね。没収されそうになったりとか。アイスピックで刺す事件があったので、指揮棒も凶器に使われるんじゃないかって。
空港ではどのように説明されるんですか?
指揮をする真似で(笑)外国の場合特に一生懸命アピールします。没収されたら大変なことになるので。
印象に残った演奏会は、数年前にイタリアで行った演奏会なんですが、3日間練習して2日本番というお仕事だったんですね。でも蓋を開けてみたら本番が1つ増えて、練習を1日削って3日間本番になりました、と言われたんです。しかも珍しい曲目ばかりで、まあ仕方がないしこのオケではこういう曲をよくやるのかな、と思って練習に行ったら、オケの方が全然曲を知らずに初見のような状況でリハが始まったんです。その日はもうとにかく楽譜を読んで、要所要所整理することしかできず、1日目のリハが終わりました。でもヤバいということは分かっていただいたと思うので、きっと必死に練習してきてくれるだろう、と2日目に期待をしました。2日目、行ってみたら、全く同じような状況だったんです。誰も練習してなかったんですよね。そこで「明日この状態でお客さんに聴いてもらうのは、自分としては難しい。」と楽団員さんにお話していたんです。そしたら、そのことがそのオーケストラの常任指揮者に伝わって、演奏会が1つキャンセルになったんです。その代わり1日練習をしてください、と言われたんですけど…あまりそういうことがなかったんでしょうね。アジア人の指揮者がゲストで来て、クレームのようなことをはっきり言ってしまったので、もうオーケストラの雰囲気はものすごく悪くなってしまって……
次の日練習に行ったら、冷たい雰囲気なんです。誰もしゃべらない。ひんやりとしていて絶望的な感じだったんですが、もうこれは粛々とやるしかないと思って、1個ずつ丁寧に取り組んでいったんです。そしたら、これだったら明日良い演奏会ができるかも、という雰囲気にだんだんとなっていきました。コンマスの方はその日の朝、握手を求めたら断られるくらいでしたが、こういう風にしてみようか!と積極的になったりして、どんどん空気が良くなって、いただいた時間最後まで練習して、その日の最後はオケの方のスタンディングオベーションで終わりました。すごく嬉しかったですね。誠実にって言ったら大袈裟かもしれませんが、やるべきことを淡々とやっていたら、報われることもあるんだな、と。演奏会もとても良い演奏ができたので、自分にとって非常に苦しいのもあったんですが、演奏会の素晴らしさも相まって、音楽に誠実に向き合うことの大切さを改めて再確認した演奏会でした。
ーおとぺディアのモットーとして「ムジカをミヂカに」を掲げているのですが、一般の音楽を楽しむ方に、指揮者の注目してもらいたいことはありますか?
一番の理想は、注目していただかないようになることです。指揮者の存在が消えて、音楽そのものやオーケストラの演奏そのものがお客さんに伝わるような感じが一番成功かなと思います。指揮者は一番激しく動いているから、動物的な本能として動いているものに目がいってしまうのはあると思うんですが、決してパフォーマンスのために手を動かしているわけではないので、もし見ていただくならそういう視点で見ていただければと思います。
伊藤 翔さん、今回はありがとうございました!
そうなんですね!